ゆっくりでもいいから、でも確実に成長して欲しい。
私の周囲の学童関係の人々が、声を揃えて言う。年々子供たちが幼くなってきていると。
私も実感している。
大人が指示を出さないと自分が今何をしていいのか分からない子、お尻を一人で拭けない子、抱っこされて赤ちゃん扱いされることに違和感を感じていない子、自分の身の回りのことをやりきれない子etc.
勿論、そういった子どもたちの中に発達が凸凹している子達も見受けられる。
そして学童関係者の殆どが発達の凸凹している子達も年々増えている様に感じている。
その原因はなんだか分かっていない。
誰か具合の悪い子がいてその子の対応をしている時、別の子が来て言う。
「○○さーん!僕の算数ドリルがないんだけど…」
「えっ!○○くん、今私は何をしてるかな?」
と、そこで気がつき、○○ちゃん大丈夫?となればまだマシ。気がつかないのか、分からないのか、ずっと見当たらない自分のドリルや水筒やプリントがなくなっていることを訴え続ける子が殆どだ。私は日々の仕事現場で、AB双方の学童で、フツーにこういう場面に出くわす。
決して悪気がある訳でもなく、子供たちがみんな優しくなくなった訳でもない。そして空気が読める読めないとか、共感する能力が低いとかだけの問題ではなく、また幼さゆえの問題だけでもないようだ。
とにかくみんな自分のことに必死で余裕がないのだ。特にB学童の様に大規模で、右へならえ方式で、時間で子供たちを縛り、大人のやり方をひたすら押しつけ、人数の多過ぎる環境にあれば、人間同士の関係は希薄になり、又ベルトコンベヤーのベルトに乗っかることを最優先する生活となり、他人を思いやるなどという気持ちが育つはずもない。
とにかく、彼らが自分の足で歩くことを覚えながらも、他人と支え合うことに喜びを感じられるように育まなければ、いけない。
その途中に可愛いイタズラがあってもいいんじゃないか。その先に冒険や夢がある!みんなが真ん丸でなくても、いびつなオーバルでも、四角でも、かなりはみ出た三角でも、それを補い合い、喧嘩して、対話して、くっ付いて、時に傷つけ合って、でもいつか大きな大きな丸になっていけば、いいんじゃないか。
親御さんを非難する気はさらさら無い。みんな、日々の生活の為、真面目に必死に働いてらっしゃる。
勿論、ただでさえ混乱している教育現場の只中にいる学校の先生に、そこまで期待するのは無理な話だ。
なんの生活の不安もなく、子育て出来る環境が整っていないこの国が悪いのだと思う。
B学童の別棟は三年生以上が使用する施設だ。ここ何ヶ月か、ドングリの様な小さな硬い💩が時々転がっている。どうも動物の物ではなさそう。スタッフは衛生面を気にしてる。
私は、💩をフツーに出来ないかもしれない誰か、お尻をフツーに拭けていないかもしれない誰かを とても心配している。緊張や不安でその子の心は一杯になっていないか、だるくて無気力でそんなことにすら構ってられない気分なのか?
犯人探しの意図ではなく、早く見つけてあげたい。
この国の未来を考えると少し心配になる。
気のおけない仲間や友達が作りにくくて、 何の冒険も出来ないこの子たちが、本当にかわいそうで仕方がない。